INABU BASE

PROJECT

愛知のチベット「稲武」始まる働き方革命

我々の目指すもの、共に目指したいもの

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2018.3.21 vol.3

マウンテンバイクの初期衝動

NPO法人 チャリンコ活用推進研究会

伊達 剛

「マウンテンバイクで稲武を活性化できると思うのです!」

 

そう口にしたのは、山村に工場をおく企業の社長。自転車文化が主体の、あまりにド直球な発言に意表をつかれてから、2年ほどが経ちます。その山村の将来について話をする場には偶然、マウンテンバイクの初期衝動を持つ者たちが集ったのです。それは1990年代、この東海地方にも起こった、マウンテンバイクブームを経ての必然だったのかもしれません。

 

2015年の夏、名古屋の自転車屋「Circles」の田中 慎也と車を走らせた先は、豊田市の山村地域である「稲武」地区。愛知県の北東端に位置し、長野県と岐阜県と接する自然豊かな山村。そこに本社工場を置く「トヨタケ工業株式会社」の会議室、それが同社代表である横田 幸史朗との初顔合せの場となりました。そしてそこには稲武の財産区代表の姿も。その日は会議室から同社工場、そして財産区の山林と場所を移しながら、我々は土地と自転車文化がどのように整合するかの協議を重ねたのです。

 

そして帰路につく車内においても、田中氏との意見交換は続きました。どのように対応していくのがベストなのかを。そう、私たちは整いそうなモノやコトについ、手や口を出してしまう性分なのです。「しかしこれは本来、俺らがすべき事なのか?」 そんなジレンマを、毎度抱きつつ。

 

ただ、二人が心躍らせたのは間違いなかったのです。

「ついに、マウンテンバイクの出番が来たね」と。

 

そして2018年3月、プロジェクトとしては初のマウンテンバイクツアー企画を実施。稲武の新たな価値を、広く示す事ができました。参加者と関係者の声を手応えにして、この先も稲武の自然フィールドの開拓は続いていくのです。マウンテンバイクと共に。

 

フィールド開拓とツアーをくり返し企画していっても、5年程度では開拓しきれないでしょう。そんな雄大なフィールドが、我々の相手をしてくれるのです。これほどマウンテンバイカー冥利に尽きる事はありません。そしてなりより、我々がフィールド開拓を掲げ、胸をはって入山する日がついに訪れたのです。

プロジェクトの目指す先

INABU BASE PROJECTは豊かな自然フィールドを生かし、稲武で「遊ぶ」ことでファンをつくり、地域への移住者獲得を目指します。合わせてフィールドアクティビティや、空き倉庫を活用したベース拠点の整備等を展開します。また、週の半分は会社、週末はフィールドでツアーガイドといった稲武ならではの「新しい働き方」を提案、実現を目指すプロジェクトです。

 

以上に加えて、私が地域に提案しているのが「稲武の自然フィールドを最大限に生かした、マウンテンバイクによる新たな生業」つくりです。稲武に住まう人、訪れる人らにとってマウンテンバイクが身近な存在になっており、地域の発展に一役買っている。このプロジェクトの目指す先に、そんな未来があると考えます。

 

そもそもなぜ、稲武の発展にマウンテンバイクなのか? それは我々が「マウンテンバイクの初期衝動」を信じているからです。そして「林業再生」が叶わず、過去の栄華からの転換を図ろうとする山村地域にとって、マウンテンバイクはひとつの手段である事を示していきたいです。人を惹きつけるその魅力と、地域と共に発展しうるマウンテンバイクの可能性を。

受け手から、送り手に

ここで少し自己紹介を。私はこのプロジェクトの「段取り屋」と「技術屋」を務めるNPO法人の理事長です。プロジェクト立上げから企画編集と実施、このWEBページや写真、デザインなどのアウトプットを諸々請負っています。短期で納めれるプロジェクトでない事から、地域の関係各位に積み重ねていくべき「選択肢」の提示も担っています。

 

自転車文化を掲げる市民活動を始めて10年、NPO法人を立ち上げて6年。会社員、パートタイマー、個人事業主と、様々な立場で社会と関わってきた22年の経験則。そしてマウンテンバイク文化に関わってきた経験と合わせて、このプロジェクトに反映させていきます。

 

後にも述べますが20年以上前、いち受け手としてマウンテンバイクを楽しんでいた自分でしたが、考える事もあって距離をおく事に。それは公にその文化を楽しめる場が、東海地方で少なくなっていった時期でした。マウンテンバイクを買えても、それで遊ぶ公のフィールドが、当時はあまりにも少なかったのです。

 

時を経て今回、このプロジェクトの組み立てに関わり、受け手から送り手に立場を変え、私はこの自転車文化に帰ってきました。マウンテンバイクの初期衝動を得てから20年。この文化をまだ推せるという事は、普遍的な魅力がある証拠といえるでしょう。

私の初期衝動

なぜ、私がそんなにマウンテンバイクに惹かれたのか? 23歳で初めて山を駆け抜けた感動は、自転車に初めて乗れた時と同等といっても過言ではなかったのです。シングルトラックと呼ばれる細い山道を、落ち葉が敷きつめられた斜面を、ジープロードと呼ばれる砂利道を、それぞれ難なく走破していくマウンテンバイク。通勤で使っていた愛車にそんな実力があったとは、完全に想像以上で、それも衝撃的でした。

 

そして毎週末、山へマウンテンバイキングしにいく事がライフワークとなり、仲間も多くできました。社会人3年目の事だったと思います。マウンテンバイクに少しでも多く乗りたい思いから毎日、自転車通勤となったのです。これが社会人になってから初めてとなる運動習慣にもなり、カラダが改善さていく喜びもありました。

 

加えてマウンテンバイクという遊びは、多くの事を自己完結できるも魅力でした。移動手段としての自己完結はもとより、パンクなどの修理から、新たなパーツを購入しての部品交換。そして、マウンテンバイキングを楽しむフィールドの開拓まで、自分で出来る事が多かったのです。そしてこのフィールド開拓については、アドベンチャーとしての魅力がありました。それは完成されたゲレンデコースやMTBパークにはない、特別なモノだったのです。ただそれは、社会に対して極めてグレーなモノであり、当時のマウンテンバイク文化が棚上げしていた課題そのものでした。

日本におけるマウンテンバイク文化の伸びしろ

1990年代にあったマウンテンバイクブーム。その中心地といえる町に住んでいたのにも関わらず、私がマウンテンバイクで山を駆け抜ける楽しさをことを知った時には、ブームは終焉を迎え始めていました。雄大な自然と捉えていた山は、誰かのモノであったり、みんなのモノであったのです。決して、マウンテンバイカーのモノではなかったのです。

 

ブームは社会と相反する事が少なからず有ります。新たに生まれた事は、多くの人らの当たり前になるまでには、時間と労力を必要とするのです。当時、マウンテンバイクに関わる多くが、それを怠っているように感じました。私自身、いちマウンテンバイカーとして社会に対する術も知恵も、なによりも意識が足りませんでした。

 

結果として毎週末、楽しんでいた山の入口には「マウンテンバイク入山禁止」と掲げられる事に。今となってはあの出来事がなんだったのか、思うところが多いのですが…。とにかく、マウンテンバイクで遊べる山は遠くなり、そしてその社会との不整合さに、この遊びとの気持ちが離れていきました。

 

ただ、マウンテンバイクが生まれたアメリカではスポーツとして、フィールドアクティビティとして、そして産業として発展し、ヨーロッパやアジアにも伝播していきました。その様子を伺いながら「なぜ、日本でのマウンテンバイクは…」という疑問や憤りが。この自転車文化がどうやったら日本の社会と共に歩んでいけるのか? 私なりに考えた結果が、手段としてのNPO法人設立でした。日本におけるマウンテンバイク含めた自転車文化は、まだまだ発展の余地がある。そう、信じて。

 

この私の行動について補足すると、海外の自転車文化は市民活動と共にあるイメージがあり、その影響が多分にあります。むしろ自転車文化が、市民活動のアイコンになっている場合も少なくありません。そんな海外の様子を見て、感化されたとも言えるのでしょう。今でこそ「まちづくり」なんて言葉がありますが、私にとっての市民活動は自転車文化のひとつであり、D.I.Y.精神の延長線上にあります。

 

時は経て現在、山村は資源の喪失からの人口減により、地域社会を存続していく事が危ぶまれています。日本各地で生き残りを模索が始まった今だからこそ、マウンテンバイク文化を示す機会がやってたと感じています。そう、人は危機や絶望を前にしないと、交渉のテーブルにはつかないのです。そして山村における山林資源の再活用案として、マウンテンバイクは強いカードだと私は信じています。

 

グレーゾーンで密かに楽しまれてきた日本のマウンテンバイク文化。その秘めた伸びしろは、ようやく花開く時が来たのです。

稲武とマウンテンバイクの可能性

山を駆け抜ける事に魅力とした自転車アクティビティ「マウンテンバイク」

標高1,300mの高原地帯など豊かな自然を有する豊田市の山村地域「稲武」

 

このふたつがマッチしない理由はなく、共に発展していく可能性は大きいと考えます。そして以下の要因と合わせて、プロジェクトの実現性は高いと考えます。

 

・稲武への移住を推進する地元企業、稲武の山を一括管理する財産区、自転車文化のNPO、都市部の自転車店、それらの協働

・マウンテンバイクコースなどを5年以上、開拓し続けていける広く豊かな自然フィールド

・標高1300mからなる稲武の突き抜けた自然環境が、名古屋市や豊田市の都市部から自動車で60〜90分のアクセス可能の立地

・イベント開催実績や地方創生の政策案の受賞など、この地域における自転車文化の功績が広く認知されている

・民間での組立てと行動が先にあり、行政がその民意をフォローするという関係性

・山林資源の再活用案と合わせたマウンテンバイクによる仕事づくりという、社会との向き合い方

・D.I.Y.精神を有する自転車愛好家らによる、多くのアウトプットと行動

 

以上の要素をふまえて、人・物・事・金・時間などの使用法を整え、運営形態を築いていく。それが「稲武の山林を活かした、マウンテンバイクを中心とした新たな生業の創生と、地域の再活性」という成果を得る事になるでしょう。

いざ、初期衝動の場へ

「マウンテンバイクはとても楽しいよ! 稲武の山を走るのはとても刺激的! 町でも通勤通学の足になるし、家の近所をサイクリングするのも調子良いよ」

 

これからこんな会話が山や街、自転車屋や仲間うちでされていく事でしょう。それくらい、稲武とマウンテンバイクが秘める可能性は高いのです。そして私も今、マウンテンバイクはもとより、チェーンソーや多機能スコップなどの開拓用具を物色する日々が続いています。プロジェクトの送り手ではありますが、いち受け手としてマウンテンバイクを全力で楽しむ準備をせねば。です。

 

皆さんも是非、マウンテンバイクをご用意ください。初見の方も心配なさらずに。マウンテンバイクの初期衝動は間違いありませんから。あなたの人生に彩りが加わるの事、請け合いです。

筆者プロフィール

NPO法人チャリンコ活用推進研究会 理事長

伊達 剛

マウンテンバイクなど自転車スポーツ普及推進の関わりから、様々な市民活動に身を投じる事に。自動車技術職を退職後、自転車愛好家らによるNPO法人を2012年設立。DIYで自発性のあるコミニュティや、地域活性となる自転車文化の創出など、文化や地域を問わない繋がりを活かした事業を展開する。

2015年には豊田市稲武町のフィールドを活かした自転車アクティビティ事業の政策案が、内閣府後援の地方創生の政策コンテストにて優秀政策賞を受賞。この地域との関係が密となった事から、本政策案の事業化実現を目指した協働がはじまる。

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