トヨタケ工業株式会社
横田 幸史朗
前回のコラムが1年3か月も前だったかと思えない程、この一年は忙しかったようです。というのも、ここ数年プロジェクトの伝播が思ったよりも早く、受入側の体制が整い切る前に仲間や新卒者も増え、その定着化へのフェーズとして新しいことへのチャレンジや、外への積極的な露出を押さえ、母体のトヨタケ工業の中に目を向けた一年ちょっとでした。その間にも関東方面から新卒女子が仲間になる等、嬉しい話も続きました。
自分でも書いたコラムを読み返してみると、ここ数年は本当に今までの通り行かなくなると毎年書き続け、根底にあるのは、人口減少に伴い当たり前だった地域社会が成り立たなくなるという危機感と、それに伴う経済規模の縮小でした。都心部も含めた経済規模の減少が、中長期的な日本全体の人口減少ではなく、今回コロナウィルスの世界的流行という全く予想していなかったことで引き起こされました。今後の国内市場を見据えて、8割操業も視野に入れてと言っていたことが、コロナによって、前倒しで引き起こされた。逆に言うとマーケティングによる消費喚起を中心した経済は既にバブルだったともいえるのではないでしょうか。それにはたと気が付いた。一生懸命、身の丈に合った生活や仕事に変えようと、働き方改革やプレミアムフライデー(?)などあの手この手で進めてきたものが、がつっとコロナにやられた。効率を追い求めた都市部の集中は、密と称されて分散や田舎が評価されるという、引いたらいいのか、足したらいいのか、まだ私たちは分からない最中にいると思います。
ただ一つ言えることは、僕らが関わってきたトレイルというものが、コロナにも経済活動にも全く影響を受けず、そこにあって、木漏れ日がきらきらとせせらぎを輝かせて待っていてくれるということです。
コロナウィルスそのものは不良遺伝子の入ったタンパクカプセルで、誰かが作ったとかその様な事よりも、生物の細胞分裂のメカニズムを通じて人が受け入れてしまうという、自然の摂理にかなったもので、今人間社会が受けている影響のほとんどは人の生活様式に係る人為的なところで問題になるという、人災だと感じています。つまり、その人災の折り合いを付ければ、きらきらしたトレイルで僕らは引き続き活動が出来るということです。活動自体は事前の体調確認とイベント中の濃厚接触者を発生させない運用を取ります。
さて、前回のコラムからの一年を簡単に振り返ってみたいと思います。
・ メンバーが見つけてきた新しい中当トレイルを徐々に開拓
⇒従来の1000m越えの井山フィールドの様な難解な登山のようなマウンテンバイキングより、パンプトラックやキッズコース、フローなシングルトラックといった稲武市街地から自転車でもアクセスできるロケーションでの活動への転換によりツアーの実現性に弾みがついた
・いなぶコンベンションビューローで見た遠野での地域商社の取り組みを見学
⇒付加価値を上げる仕組みは要素の組み合わせとコーディネーターが必要な事
・ファブカフェメンバーの創設 アイデア大会の実施へ
・働き方改革に絡んで、書籍や学術論文への掲載
・マウンテンバイク以外の稲武の魅力についても、シナジーを持たせて発掘する
・ 唯一のインターナショナルメンバーだったロバートが諸事情で無念の帰国
・「自転車の宿場町」としての動き 3月に主催したオンラインセッションでは2000Viewをこえた。伊豆のYamabushi Trail Toursの松本氏との対談や、古橋会の伝統的な取組みやまちやど準備など地域資源を活かした取り組みを紹介
・ 関東の大学から、稲武へOPENINABU移住5人目の峯田さんの入社
・Yansさんの茶臼山トレイルや、FieldStyleの参加者をみて思ったこと
⇒これからマウンテンバイクに乗る「一般の人」というターゲットを再考
・ コロナ、大雨と2回延期になっていたトレイルが10月にオープン
⇒3日X2日が生業としてついに始まる
その中でも一番のポイントは、3日X2日の実現の一つとして、仕事としての有償のツアー開始に漕ぎ着けたことです。まだまだ、毎週のように3日2日とはいきません。本人たちからすると月に数日ツアーや準備を実施した日の分、平日稼働日に振替休日を取得する形となり、仕組みとして会社は仕事として彼らの日当相当をツアー事業から回収する仕組みとなります。誤解を恐れずに言えばワークとライフの両立という昨年のNHKでも取り上げていただいた仕組みは、二足のわらじでもあり、特に両方のわらじが自分にとって新しいことである場合、その両立は非常に困難な事であることは想像できると思います。この間本人たちも、仕組みを提供するプロジェクト・会社も皆で進められる方法の肌感覚を模索しながら今回のツアー実施にこぎつけました。お金をいただくツアーとする以上、ツアーも本物のサービスでなくてはならず、今度が初めてといいながら、今いるメンバーでお客さんをどう回すかってところも、実証的な本番になります。どうか、このようなチャレンジを進める我々のプロジェクトをご理解いただきながらご支援いただければと思います。
その上で、これまでボランティアとしてトレイルビルド&ライドに関わってきていただいた皆様にも、今後も引き続き今まで通り自治区の林道整備に来ていただいたような感じのサポーターパスの様な仕組みを考えていきたいと思います。ボランティアで成り立つ仕組みって、本当に難しいですよね。例えば有志で成り立っている場合、トレイルを走りたいだけの人はちょっと歓迎されないかもしれません、やっぱり一緒にやっていく仲間という意味ではクローズドのコミュニティの様な性質が付きまとうと思います。日本の多くの裏山トレイルはこのような形であるため、誰もが最初はそうである一見さんを受け入れにくいかもしれません。またボランティアのへの負担が高すぎると、仕組みとして続かないかもしれません。豊田市の同じく中山間地に新しくできた姉妹トレイルは、女性の方がキーマンで、ライドというより森の活用(ヒーリングや子供の教育)の一環で自転車のトレイル運用している感じがします。それぞれのトレイルがそれぞれの形で進んでいるのですが、IBPはより観光資源として誰にでもOPENなトレイルを目指し、働きながら運営するという仕組みで成り立っている点が稲武にあるトレイルの唯一無二の特徴ということになりそうです。
そして、プロジェクトメンバーは相変わらず2足以上のわらじの活躍を結果的にしてくれています。きっと近いうちにIBPの社外の経験を社内持ち込むことから生まれる新しい製品なども誕生してくるでしょう。
その中で、IBPの3日X2日のスキーム採用の土本君(つっちー)がプロジェクトを卒業することになりました。つっちーは18年11月に稲武へ移住、メカニックのバックグラウンドを背景に会社でもすぐ成果を出しつつ、プライベートでは稲武出身のアクティブ女子を射止め結婚、翌年に長男を授かるという20代ラストの1年の間にやりたいことみんなやった男として、地方創生大賞があれば総ナメをするところでしょう。そんなスローなイメージ?の田舎で常に生き急ぐ彼は、3日2日のスタートを待たずプロジェクトを卒業し、何やら地元で悪企みがあるようです(笑)。プロジェクトとしてはこれからという時に私個人的には少し寂しくも残念な気持ちもありつつ、中山間地の多様性の一翼を担い続けてくれるとこれからも期待しています。彼のメッセージをどうぞ。
「今までIBPの活動を応援してくださった方々、そしてイベントにご参加いただきました皆様へ:今まで本当にありがとうございました。IBPを通じて得た経験、学びを生かし、これからの糧として歩んでまいります。
これからは稲武在住のボランティアとして、IBPのイベントの手助けをしていきますので、これからもよろしくお願いします!」
マウンテンバイクという「自転車」を使ったトレイルの運営による人の生業による地域のサービスの提供による活性化、サービスの利用によるさらなる新規の関係人口の獲得などにより、持続的に人が集まり維持成長していく地域に。
この軸は今もぶれず、その一つの手段として自転車が織りなす役割は実に複雑で多様性に富み、そして楽しい。ちょうどスポークで編まれた車輪が回転し続けるようにね。やっぱり、原理主義的だ。
10月10日のお披露目ツアーは申し込み開始後2日で定員になってしまいました。(しかも初めてのお客様)11月も紅葉の季節の良い時期にトレイルオープンツアーを開催、告知をしたところやはり2日でほぼ予約が埋まってしまい、追加枠を検討中です。自信をもってお勧めできるトレイルではあるものの、実際の反響の大きさにスタッフ一同驚きとモチベーションが上がっている状況です。その中でホームページの更新はnoteへいったん移行していく考えです。合わせてプロジェクトのインスタグラムをチェックandフォローしてくださいね!
横田 幸史朗
自動車用シートカバーメーカー「トヨタケ工業 株式会社」社長
地域の新規定住者受け入れ支援団体「OPEN INABU実行委員会」代表
豊田市 市民発!ミライ・チャレンジプロジェクト補助対象事業「INABU BASE PROJECT」主催
1975年生まれ。動物占いは「気分屋の猿」、趣味は読書とサイクリング。南山高校男子部在学中にアメリカアリゾナ州フェニックスに1年間交換留学。卒業後、青山学院大学法学部へ。EU法の域外適用について学ぶ。卒業後ブラザー工業株式会社入社。情報企画部にてグローバルのITインフラ構築に携わる。後、欧州統括会社のBrother International EUROPEに出向、現地の経営企画部にて欧州17か国の月次決算システムの導入とユーザー(現地社長)サポートを行う。6年間半の任期後、2010年に帰国。帰国後名古屋商科大学にてGlobal MBAの履修を始める。一年間ブラザー工業本社のIT企画にて欧州で得た経験をアジアで展開するプロジェクトを立ち上げる。2011年2月末ブラザー工業退職、4月より実家がオーナーであるトヨタケ工業株式会社入社。2013年9月にMBA課程修了。2015年1月より社長就任。OPEN INABU事業や新規顧客の獲得、会社の近代化などを行いつつ、事業承継後の持続的可能な企業となるよう、地域と一体となった経営を進める。2016年には「遊ぶ」「働く」を考えて実践するINABU BASE PROJECTが、豊田市主催する補助事業の対象となり「稲武で始まる働き方革命」を掲げ、ミッションの成立を目指す。
1999 〜 2003 ブラザー工業株式会社勤務
2003 〜 2010 Brother International EUROPE,LTD出向
2010 〜 2011 ブラザー工業株式会社勤務
2011 〜 トヨタケ工業株式会社 (2015年1月~社長就任)
・中学生の時にMTB NISHIKI を通学用に買ってもらい、学校まで8キロ毎日自転車通学を始め自転車の楽しさを知る。
・高校1年の夏に友人に誘われ1か月ポートランドにホームステイ。ステイ先の家族と自転車で毎朝サイクリングに出かける。なお、ホストファーザーは後ろにポリバケツを積んでいて、路上のごみを拾いながら走っていた。
・帰国後、よりアメリカに行ってみたいと思い高校2年の時に交換留学で現地の高校へ1年間通う。ホームステイ先がヒッピー流れの家族で、ワーゲンのバンでキャンプに行くなど、アウトドアライフを覚える。
・大学に入る際にPEUGEOTのMTBを購入。大学ではサイクリングクラブに所属し、関東の山々を走ったり、夏は毎年1か月北海道にキャンプを積んで走るなどする。
・1998年夏卒業旅行でユーラシア大陸陸路で横断する。神戸、天津、北京、モンゴル、ロシア、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマークまで旅をする。
・卒業後、新入社員のボーナスでひとめぼれしたBrodieのダウンヒルマウンテンバイクを購入。富士見パノラマなどのダウンヒルコースで遊んだり、地元の里山でマウンテンバイクライドを楽しむ。
・2001年、勤め先の同僚に誘われ、クリティカルマス名古屋に顔を出すようになる。最終土曜日の午後自然発生的に集まった人たちで名古屋駅や栄などの市街地中心にて、公道における自転車の市民権を主張。
・2002年、友人を頼ってのオランダ渡航の際、ベルギーでもクリティカルマスをやっていると聞いて、ブリュッセルで開催されていた自転車でクリティカルマスに参加。
・2003年、勤め先の海外拠点のあるイギリスへ出向。現地ブランドであるORANGEのマウンテンバイクを購入し、トレイルライドを楽しむ。
・2011年、実家が経営するトヨタケ工業株式会社へ入社。名古屋と稲武の事業所を行き来する生活に。
・2015年には社長として同社を預かることに。同時にロードバイク、マウンテンバイクでの稲武フィールド探索がはじまる。
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